小学生、4年生「プラタナスの木」の話し合いは心情曲線で!実際に行った発問を紹介します!

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小学校4年生の物語文の中に、「プラタナスの木」があります。皆さんはどのように授業を進めていますか。今回は「プラタナスの木」を心情曲線で話し合った授業を紹介していきます。これから授業を行おうと考えている方の叩き台にしていただけたらと思います。

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目次

「プラタナスの木」を読み、作品を捉える

まずは教師が、「プラタナスの木」の作品の特徴を捉えます。

登場人物は、

「マーちん」「花島くん」「クニスケ」「アラマちゃん」「おじいさん」です。

 

光村図書 4年国語下より

 

小学校国語 4年 | 授業に役立つ情報 | 光村図書出版」にもあるように、筆者は、「木は上下対称である」という言葉に深く感銘を抱いていることがわかります。絵本で見たその言葉を元に様々な場所で見る木に、

「あ、これらの木も地上と同じように大地に深く根を張っているのだなあ、とそれまで考えもしなかったある種の感動を得たのだった」

No.82「作者・筆者からのメッセージ 椎名 誠」より

と新たな視点をもって接していることがわかります。作者は、この「木は上下対称である」という視点をもってこれまでの木を見ると、新たな感動があり、それが新たな力を生み出す」と考えていることがわかります。

この作者の視点を考えると、「プラタナスの木」を読むことで、「木に対する見方が変わる」ことや、「木から派生して、様々なものの見方も、事象一つで変えることができる」ということを伝えたいように感じます。

また、切り株に対しても筆者は特別な思いをもっています。

人間たちにとって、切り株から下の根の世界はもう何の存在感も意味もなくなってしまうのだろうか。「空虚」という思いが頭をよぎったが、それでも地中ではその根を利用したおびただしい小動物や虫たち、そしてバクテリアなどが変わらず活発に生きているのだろうな、という少し違った見方もできるようになった

「No.82「作者・筆者からのメッセージ 椎名 誠」より

木は切り株になっても、「上下対称」という視点から、地中に多くの根があり、生きていることを感じていることがわかります。この部分も、筆者が読者に伝えたい生命の部分であると考えます。

また、登場人物である「おじいさん」も、「プラタナスの木」がまだ繁っている時に登場しました。マーちんがお父さんのふるさとに帰るときには、「お父さんのふるさとには、木がいっぱいあるだろう。みんなによろしく。」と意味深な発言をしています。台風のときにおじいさんを思い出そうとしても、次第にぼんやりしていくことや、切り株になってしまってから登場しないことを考えると、おじいさんは「プラタナスの木」の存在そのもののような感じを受けます。

筆者の思いをもとにこの作品の主題を考えると、

「木の見方を変えてほしい」や

「新しいことを教えてもらうと、ものの見方が変わることを知ってほしい」

という思いではないでしょうか。

これらが作品の特徴になります。

 

「プラタナスの木」の心情曲線は、「マーちん」の「木に対する気持ち」で追う

 

「プラタナスの木」のクライマックスの場面は、「マーちん」がプラタナスの木が切られてしまい、その後公園で切り株に乗る場面です。そのときの、「マーちんの気持ち」を考えます。

「マーちん」は、おじいさんに「木の上下対称」のことを聞いてから、「プラタナスの木」に対して今までと違う見方をしていました。そんな「プラタナスの木」が台風で切られてしまい、「マーちん」や他の3人はだまってしまいます。

 

 

そんな中最後は、4人が空を見上げて楽しそうにしています。そんな心情の変化を読み取ります。

そこでこのお話では、「マーちん」を「中心人物」として考えていきます。そこで心情曲線は、「マーちんの気持ち」を書き込むワークシートにします。使った心情曲線は以下のファイルです。上のスペースには教科書の本文を貼り付け、文章のどこで曲線が変化するかを曲線で示していきます。

 

プラタナスの木

 

「マーちん」たちは、「プラタナスの木」がなくなってしまったこと、おじいさんに会えなくなってしまったことでだまって座り込んでしまいます。それが最後には、イラストから4人がとてもうれしそうなことがわかります。どこかで「木がなくなって悲しい」から「うれしい(前向きな気持ち)」に変わったことを確認して、「どこで変わったのだろう。」と問い心情曲線のワークシートを配ります。

「マーちん」は木が切られてしまい、おじいさんに会えないのだから、当然曲線は悲しみの場所にあるはずです。

 

クライマックスの場面では、子どもの中には、「うれしい(前向き)」曲線をいろいろな場所で書く子がいます。そこで2つの曲線を取り上げ学習問題とします。

クライマックス場面の心情曲線で分かれたのは、

A「そんなある日、ベンチにすわっていたマーちんは、」の部分からうれしいの場所まで上がる曲線と、

 

 

B「プラタナスは切りかぶになったけれど、」の部分でうれしいに上がる曲線です。

 

 

「プラタナスの木」の主発問は、「マーちんの曲線はどれが正しいか」で話し合う

 

どちらの答えが正しいと思うか、自分の考えをノートに書きます。書き終わったら、A 、B のどちらの考えかはっきりさせるため、黒板にマグネットを貼って立場をはっきりさせました。

2つの意見について話し合いを行います。「マーちん」の「うれしい」気持ちは、

A「そんなある日、ベンチにすわっていたマーちんは、」のときに高く上がるのか、

B「プラタナスは切りかぶになったけれど、」で高く上がるのか、どちらの場面かです。

Aでは、賛成意見として、「落ち込んでいたのに切りかぶの上に立ったから」や「地下に広がっている根のことを想像したら、そうしたい気持ちになったから。動き出したかったから」という意見が出てきました。

一方Bの賛成意見では、「みんなで切りかぶの上に立てたから」や、「みんなでみきや枝や葉っぱのかわりになることで、プラタナスの木が復活したから」という意見が出ました。

Aに対する反対意見として、「ここではマーちん一人しか切りかぶの上に立っていないから」や「ただ立っただけでまだみきや枝や葉っぱのかわりになっていないから」という意見が出ました。

 

Bに対する反対意見として、「マーちん一人でも、悲しいときには切りかぶの上に立たないから」や「みんなもマーちんのうれしい気持ちにつられたから」という意見が出ました。

立場を決めて話し合いを行ったので、最後には解を示しました。Bの子たちの、「みんなでプラタナスの木を復活させた」を大いに認めた上で、答えはAです。なぜなら、マーちんの、「プラタナスの切りかぶの上に立ってみた」という行動は、「今でも地下に広がっている根のことを想像していたら、そうしたい気持ちになった」から行った行動です。木が死んでしまい、落ち込んでいる人が行う行動ではありません。そこには、「切りかぶは地下で根をはり生きている」というおじいさんの言葉が生きています。そのことを思いだし、プラタナスの木は死んでいないと思い行動した結果です。そのためここで「うれしい」に気持ちがガラッと変わったと考えられます。

「プラタナスの木が切られ、おじいさんに会えなくなったマーちんたちが、死んでしまった木を思い悲しんでいた。そこでマーちんがおじいさんの「根だけでも木は生きている」という言葉を思いだし、自分たちが木のみきや枝や葉っぱになることで、悲しい気持ちから前向きな気持ちになることができたんだね」と伝えて授業を終えました。

 

光村図書 4年国語下より

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか。今回「心情曲線」にして立場を決めて話し合うことで、子どもたちは教科書の中身をよく読み、自分の思いを込めた読み込みができるようになったのではないかと感じています。音読劇を見合い交流しあうことも大切ですが、深い読み取りのために、教科書を元に話し合うことも大切な技能です。どんな風に授業を進めようか悩んでいる方にとって、今回の授業の流れを叩き台にしていただければ幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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