小学校や中学校で行われる「授業研究」。皆さんはどんな気持ちで参加されていますか。私ははっきり言って「授業研究」が大っ嫌いでした。教育関係の書籍を読んでいる方がよっぽどためになると信じていたからです。しかし最近「授業研究」の見方が変わってきました。書籍にまさるとも劣らない意味が見えたからです。そこで今回はそんな「授業研究」の意味について紹介します。現在「授業研究」に意味を見出せない方の参考になれば幸いです。
目次
授業研究ってなぜするの?その1 免疫をつくる
「授業研究」の意味は「自分の授業に生かす」ためです。「なんだ、そんな当たり前のことか。」と思われたかもしれませんが、これが一番です。私は先ほどもお伝えしたように、書籍を読むことの方がより効率的に授業の腕を上げることができると信じてきました。だから「書籍を読んでいない先生の授業を見ても何も学ぶものはない」と考えていました。しかし、最近感じるのは、「自分だったらこの子どもの反応が出てきたとき、しっかりと主発問につなげられるだろうか。」という疑問です。
最近行われた本校の研究授業では、「2年生算数『かけ算』」の授業がありました。「12×3」の「12」をこれまでに習った九九にわけて計算すれば解けるという授業です。ここで子どもが真っ先に発表したのが、「6×6=36」という式でした。
図に表してみると、確かに「6」の固まりが「6」個あるので、これまでの九九を使って計算ができてしまいます。その後に出てきたのは、「4×9=36」でした。答えが「36」とわかったことをきっかけに、「12をわける」という本時の目標から離れていってしまったのです。皆さんならこの場面、どのように修正しますか。少し考えてしまいませんか。これが自分が授業者だったらどうでしょう。きっとテンパってしまいますよね。
事後研でこの「6×6」について話し合うことになりました。
「6×3」と「6×3」の合計であることをあらためて確認する
や
「6の固まり」を6個数えると作業が2つになる(「4の固まり」を「9個数える」のも作業が2つになる)

から、12だけを分けて、何列あるか数える作業を3列に固定した方が簡単である」と説明する

などが出てきました。するとどうでしょう。もし同じ場面に出会った場合、「免疫」ができませんか。「免疫」とは、次に同じ授業で同じ発言が出てきても、スムーズに対応できるようになるということです。これが授業研究を行う大きな意義になります。
授業研究ってなぜするの?その2 違いを知り再考する
授業研究を行う意味の2つ目は、「スムーズに授業を流すための手立てを考える」ことです。ある程度経験を積めば、自分だったら「この授業はこうやってやる」というものは誰にでもあると思います。そんなある一定の流れのある授業を他の先生が他の流れで行った場合、「違い」が生じます。ここが授業研究の意味になります。そこでこの「違い」が生まれた授業を見ると、それが「自分の行う授業の流れ」と比べてうまくいっているかを検証することになります。
今回の研究授業で言いますと、この授業で公開してくれた先生は、基本的に「ノートに考えを書かず、意見を多く言わせ主発問につなげる」スタイルでした。一方私は、「ノートに考えを書かせて、児童の考え方を知った上で授業を組み立てる」スタイルです。明らかな「違い」が生じています。
授業では、この意見をたくさん言わせたことで、先ほどの想定を超えてしまった発言(「6×6」)が飛び出したり、「12を1と2にわけて足す」という道をそれてしまった発言が飛び出したりして遠回りをすることになってしまいました。この発言、私ならノートを見て使えないとわかるので発言させません。ここで再考した結果が出ます。「やはり意見は一度ノートに書かせて、教師が把握してから指名すべき」という結果です。「子どもに先に発言させる方法」がよい場面も当然存在します。しかし今回の授業でそれを一人で検証すると同じ学年を2回やらなくてはならなくなります。しかし今回のように授業を公開してもらえれば、同じ授業を行ったとしても、「自分の授業の流れ」の方が「他の方法を一度試さなくても」、スムーズに進めることができることがあらためて理解できたことになります。
まとめ
いかがだったでしょうか。人の授業に魅力を感じない方にとっても、授業研究は意味があることが理解していただけたのではないでしょうか。学習指導要領の範囲内の授業で公開授業をしてもらえるのなら、すべて自分の今後に関係する授業ということになります。公開していただいた授業がうまかろうと、うまくいかなかろうと、どれも自分の免疫や再考につながります。今「授業研究」に意味を見出せていない方にとって、意味を少しでも見出せていただけたなら幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。