小学生、5年生「わらぐつの中の神様」は心情曲線で!実際に行った方法を紹介します!

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小学校5年生の物語文の中に、「わらぐつの中の神様」があります。皆さんはどのように授業を進めていますか。今回は「わらぐつの中の神様」を心情曲線で行った授業を紹介します。これから授業を行おうと考えている方の叩き台にしていただけたらと思います。

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目次

「わらぐつの中の神様」を読み、作品を捉える

まずは教師が、「わらぐつの中の神様」の作品の特徴を捉えます。

登場人物は、

「マサエ」「ミツ」「お母さん」

 

光村図書 5年国語下より

 

「大工さん(おじいちゃん)」

 

光村国語 5年国語下より

 

「村の人」です。「お父さん」は実際に登場して話しをしているわけではないので今回は登場人物にふくめません。作者の杉みき子さんはこの作品について次のように記しています。

この作品は、美しい雪下駄がほしくて、それを買うお金をつくるため、
自分で作ったわらぐつを朝市で売る娘さんの話で、その誠実な仕事ぶりから
彼女の人柄を見抜いた若い大工さんにプロポーズされるのだが、そのとき大
工さんは、よい仕事とはどんなものかということについて、熱っぽく語りか
ける。よい仕事とは、見かけで決まるものではなく、使う人の身になって、
使いやすいように心をこめて作ることこそ大切だ、というのである。
私はこの部分を、当然のことながら。自分で考えたつもりで書いた。と
ころが、この話が教科書に載ってしまってから、たまたま未明童話を読みか
えす機会があり、「殿様の茶碗」という話を再話するに至って、がくぜんと
したのである。あの大工さんの話は、ここから出ていたのだ!
町一番の有名な焼物師が、殿様に焼物を献上する。軽くて薄いこの上な
しという極上品なのだが、殿様はその茶碗で食事するたびに、手をやけどす
る熱さに閉口する。この殿様があるとき旅に出て百姓家に泊まると、そこの
おじいさんが、ありあわせの厚手の茶碗に熱いおかゆをもってくれた。殿様
はこの普通の茶碗のおかげで快く食事をすませ、いくら有名な焼物師でも、
使う者の身になって使いやすく作るという<親切な心>がなくては何の役にも立たないのだ、と感じ入る。

 私は子どもの頃、たしかにこの話を読んで、この殿様の話に共感したの
だ。それは、はっきりと思い出すことができる。しかし、それはそれっきり
忘れていたのに、何十年も経て、自分が<仕事>について似たような場面を
描くとき、全く無意識のうちに、それがそのまま出て来てしまったのだった。
こちらの方は全くの潜在意識である。子どものときに読んだ本の印象とはな
んとおそろしいものかとつくづく思い、それを書くものの責任を痛感してし
まう。

            (略)

実のところ、私はもともと、ものごとの明るい面、楽しい面、肯定的な面ばかり見たがる楽天性があり、少々無理をしてもマイナスをプラスに転化させてしまうので、これでは一面的になってしまうと自戒しつつ、しかし、われながらいかんともしがたい。

児童言語研究会編集『国語の授業』(1986・2月、一光社)より引用

「わらぐつの中の神様」は、ミツさんが、「雪下駄」が欲しくてそのお金を稼ぐために「わらぐつ」を作り、売っていく中で、いつも買ってくれる「大工さん」にプロポーズされるというお話です。

上の内容から作者が伝えたい主題は、

「ものの値打ちは見かけだけでなく、使う人のことを思いやる気持ちが大切」や

「心をこめて作ったものには神様が入っている」

「心を込めて作っていれば誰かが認めてくれるし(大工さん)、酬われる(雪下駄)」

ということではないでしょうか。

「わらぐつの中の神様」の心情曲線は、「マサエ」の「物への普通の気持ちから物への敬いへの気持ち」で追う

 

「わらぐつの中の神様」のクライマックスの場面は、「マサエ」が濡れているスキー靴をどうしようか話しているときに、ミツから「わらぐつ」の話をされ、その後ミツのお話をきっかけに「神様がいる」と考える場面です。そこでこのお話では、「マサエ」を「中心人物」として考えていきます。そのときの、「マサエの気持ち」を考えます。

そこで心情曲線は、「マサエの気持ち」を書き込むワークシートにします。使った心情曲線は以下のファイルです。上のスペースには教科書の本文を貼り付け、文章のどこで曲線が変化するかを曲線で示していきます。

 

 

わらぐつの中の神様 ワークシート

 

「マサエ」は、「わらぐつ」に「みったぐない」という気持ちをもっていたこと。それが最後には、「雪下駄にも神様がいるかもしれないね」と物に対する気持ちの変化が出ている様子がわかります。どこかで「わらぐつなんてみったぐない」から「雪下駄にも神様がいる」に変わったことを確認して、「どこで変わったのだろう。」と問い心情曲線のワークシートを配ります。

「マサエ」は「ミツ」の提案した「わらぐつ」に対して「みったぐない」と思っているのだから、当然曲線は「みったぐない」の場所にあるはずです。

クライマックスの場面では、子どもの中には、「マサエの物に対する気持ち」曲線をいろいろな場所で書く子がいます。そこで2つの曲線を取り上げ学習問題とします。

クライマックス場面の心情曲線で分かれたのは、

A「ーそれから、わかい大工さんは」の部分から「物にも神様がいる」の場所まで上がる曲線と、

 

 

B「ふうん、だけど」の部分で「物にも神様がいる」に上がる曲線です。

 

 

「わらぐつの中の神様」の主発問は、「マサエの曲線はどれが正しいか」で話し合う

 

どちらの答えが正しいと思うか、自分の考えをノートに書きます。書き終わったら、A 、B のどちらの考えかはっきりさせるため、黒板にマグネットを貼って立場をはっきりさせました。

2つの意見について話し合いを行います。「マサエ」の「物には神様がいる」という気持ちは、

A「ーそれから、わかい大工さんは」の部分から高く上がるのか、

B「ふうん、だけど」の部分で高く上がるのか、どちらの場面かです。

Aでは、賛成意見として、

「大工さんが、『使う人の身になって、心をこめて作ったものには、神様が入っている』と教えてくれたから」や

「『神様みたいに大事にする』という言葉のあと、マサエも『神様みたいに大事にした。』と聞いているということは、『神様』が頭の中に入ったから」

という意見が出てきました。

一方Bの賛成意見では、

「大工のおじいちゃんが、ミツを神様みたいに大事にした証拠が『雪下駄』だから、マサエはそれを見て、『神様がいる』と思ったから」や、

「おじいちゃんがせっせと働いて買ってくれたから、雪下駄にも『神様がいる』とマサエは思えたから」

「マサエが『物にも神様がいる』と話したから」

という意見が出ました。

Aに対する反対意見として、

「『おみつさんのことを、神様みたいに大事にした。』と聞いているということは、まだ神様のことを信じていない」や

「大工さんが神様について話しただけで、マサエはまだ神様がいるとは思っていない」

という意見が出ました。

 

Bに対する反対意見として、

「この場面より前にマサエは、『神様みたいに大事にした。』と聞いているから、もう物には神様がいるとわかっている」や

「物に神様がいると思っていなければ、神様という言葉は出てこない」

という意見が出ました。

立場を決めて話し合いを行ったので、最後には解を示しました。Aの子たちの、「神様」を意識している」を大いに認めた上で、答えはBです。なぜなら、「神様」を意識していたのは、大工さんのセリフから会話を続けただけです。その場面ではマサエの物に対する意識は変わっていません。マサエは、ミツの今まで話したことが、「雪下駄」を見ることで本当の話だと気づきます。そこで『おじいちゃんがおばあちゃんのためにせっせと働いて買ってくれたんだから、この雪下駄の中にも神様がいる』というセリフが出てきたのです。もしこれが作り話なら、マサエも信じてはいなかったかもしれません。しかし、雪下駄があることで、おじいちゃんがおばあちゃんを本当に大事にしたことが証明されたのです。ここで「物には神様がいる」に気持ちがガラッと変わったと考えられます。

「『ミツ』さんが雪下駄を買うために、心を込めてわらぐつを作ったことが、大工のおじいちゃんに伝わり、最後はそのおじいちゃんに心を込めたプレゼントとして「雪下駄」を買ってもらえたんだね。心を込めるって大切だね。」と伝えて授業を終えました。

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか。今回「心情曲線」にして立場を決めて話し合うことで、子どもたちは教科書の中身をよく読み、自分の思いを込めた読み込みができるようになったのではないかと感じています。音読劇を見合い交流しあうことも大切ですが、深い読み取りのために、教科書を元に話し合うことも大切な技能です。どんな風に授業を進めようか悩んでいる方にとって、今回の授業の流れを叩き台にしていただければ幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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