小学生、授業中のつぶやきって必要なの?是非とその根拠とは?

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小学校の授業では、教師の発問に対して児童が答えていくというスタイルで学習が進められていると思います。これは児童の自発的な発問であっても、教師から発せられた発問であっても同じだと思います。それに対して児童は答えていくわけですが、その時皆さんは児童にどのように答えさせますか。すぐに手を挙げて発言をさせますか。それとも教師が指名することなく、児童に好きに話させますか(つぶやき)。今日はそんな授業における進め方についてお話しします。叩き台にしていただけたらと思います。

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授業中のつぶやきは是か非か?

 

授業中、教師から発せられた発問に対して、手を挙げずに自由に発言させるクラスがあります。いわゆる「つぶやき」を大切にするという考えです。このスタイルは是か非かについて考えていきたいと思います。私はこのスタイルは「」であると思います。その理由を実体験からお伝えします。

私は以前近隣校の研修会で国語の授業を参観しました。3年生の授業でした。その授業では始めに、「心情曲線」を使って中心人物の気持ちがどのように変化したかを話し合っていました。私は「心情曲線」に対しては肯定的です。使い方によっては児童の読み取りがよくわかるからです。しかしそのクラスでは、黒板に拡大コピーした心情曲線を貼り、クラス全員でどんな心情曲線になるかを決めていくという授業でした。よくしゃべる子たちは、席に座ったまま、大きな声で自分の思ったように曲線を話していきます。一方、大人しい子たちは、黙ったままその黒板を眺めているだけでした。一見とても盛り上がっているように見える授業ですが、盛り上がっているのは一部の子だけで、「全員が参加していない」のです。授業は進んでいきますが、最初の5分で心情曲線に参加しなかった子たちは最後までお客さんにような状態で授業が終わりました。事後研では、その学校の校長先生から、「こういう授業はしてはいけない。」ときつめの言葉を授業者はもらっていましたが、私も同じ感想でした。

 

 

2つ目は、自分の勤めていた学校での、「算数」の公開授業でのことです。そのクラスも「つぶやき」を大切にするクラスでした。「割り算」の授業でしたが、教科書の問題文を読んで、「この式はどうなるでしょうか。」と教師が問いました。すると、賢い児童2、3人が手を挙げることもなく座ったまますぐに、正しい式を答えてしまったのです。この授業では、「立式」までの過程を話し合うことをメインに授業を組んでいたのに、わずか数秒で答えが出てしまったのです。当然普段はその立式がわからない子たちも、賢い子たちが答えた式をノートに書きました。内容は分かっていないのに式が書けてしまい、様々な考えを出してもらうはずの授業が一つの式が出ただけで動かなくなってしまいました。

 

 

どちらにも言えることですが、授業は「全員が参加する」ことが基本です。それなのに、「つぶやき」をさせることで一部の子だけが参加することになります。また、学習進度の遅い子たちはそんな一部の子のスピードについていけず、お客さんになって終わってしまうことになります。これでは義務教育である小学校の授業の意味をなしていません。これらの理由から、「つぶやき」で授業を進めることは「非」であると考えるのです。

 

授業中、発問をしてすぐに挙手で答えることは是か非か?

 

次は、教師の発問後、児童に挙手をさせ、指名した子に発言させることで進めていく授業は是か非か考えていきます。私はこの「発問➡️挙手」のスタイルは「」であると考えます。その理由をこちらも実体験からお伝えします。

問をして、「この問題わかる人。」と問うスタイルは良く見られる授業スタイルです。私もこのスタイルで授業を進めていました。この授業スタイル、こちらが意図した答えが返ってくる時はいいのですが、とんでもない答えが返ってきたなんてこと、ありませんか。「AやBやCくらいまでは事前に考えていたのに、まさかZの答えを出してくるなんて。」という感じです。こんな時に限って、他の児童もその答えに食いつきます。話は発問と関係ない方向へ進んでいきます。事後研ではベテランの先生に、「あの脱線した時のこの子のこの発言を拾って切り返せば元に戻っていい話し合いになったのに。」なんてことも言われてがっかりすることになります。そんなことできるわけありません。こっちはどうやって元に戻そうか精一杯なのに児童の発言の一つひとつを見極めてうまく切り返すなんてことは一部の才能のある方しかできないと思います。

ここで問題なのは、「児童が何を話すのかわからずに指名した」ということです。始めから何を話すか分かっていれば、「脱線する子は指名しない」という方法も取れますが、手を挙げているだけで何を考えているのかわからない状態では、これから先もずっと「脱線」の恐怖が付きまといます。授業は45分と決められています。いつも脱線していては授業は先に進みません。「限られた時間で全員に力をつける」という点から、この「発問➡️挙手」システムは「非」であると考えるのです。

 

 

この続きは

「小学生、授業中のつぶやきって必要なの。是非とその根拠とは その2」

 

に続けて書いています。そちらも是非お読みください。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

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